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福島地方裁判所いわき支部 昭和57年(ワ)96号 判決 1983年1月25日

原告

甲田一兵

右訴訟代理人

大森鋼三郎

被告

乙川見士

右訴訟代理人

市川茂

主文

一  被告は原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年五月一三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(被告の暴力行為と原告の受傷)

原告は、昭和一五年一月現役兵として、朝鮮咸鏡北道鏡城輜重兵第一九連隊に入営した。被告は旧性を乙田といい、右連隊の幹部候補生見習士官であつた。

昭和一六年五月二〇日原告は、乗馬訓練のため初年兵に装整列を命じて、厩舎に行つたところ、被告が、いきなり「貴様あ、このやろう!」とどなつて、直立不動の原告の頬を平手で、拳で殴打し、二〇数回以上殴打を続け、さらに、原告が目まいして倒れるや頭部、肩、横腹等を軍靴でメッタ蹴りをおこなつたのである。

このため原告は、口内がきれ口から血がふき出し、両目もきれ、両眼も充血、鼻血も出、前歯二本おれ、全身にいたみがはしり、身動き不動となつて意識もうろうとなつたのであり、重傷で入院ということで、羅南陸軍病院に急送された。約一ケ月近く入院しようやく回復したが、極度の聴力低下、全身のいたみ、視力、歯など大変な労苦をしいられ続けてきたのである。

戦後も、耳を中心に幾度となく診察を受けたが、内部損傷だから治らないといわれ、耳なりや難聴は治癒しなかつた。原告は、戦後警察官になつたが、ツンボとアダ名され昇進の学科試験には合格しても口答試験で落され、不具者は欠陥警察官だといわれるなど不遇であつた。

この間、心中のくやしさはつのる一方であつた。そして定年を迎えずに昭和四五年、五〇歳で退職のやむなきに至つたのである。

2 (原告の損害)

原告は、被告の本件暴力行為のために、心身ともに重大な苦痛を受け、生涯その後遺症のために、今もつて苦しみ続けているものであり、原告の蒙むつた損害は何千万円にも評価できるところ、諸々の事情を考え、被告よりの誠意ある回答を期待して、金五〇〇万円の支払いを求めるものである。

3 (結論)

よつて、原告は被告に対し、不法行為を理由として右金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年五月一三日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、被告の旧姓が乙田であつたこと及び昭和一六年五月二〇日当時被告が原告主張の連隊に在隊したことは認める。なお、被告は小尉であつて、見習士官ではない。

被告が原告に暴力を振つたとの点は否認する。

その余の事実は知らない。

2  請求原因2は否認する。

三  抗弁(消滅時効)

原告主張の不法行為が仮に事実であつたとしても、行為の時から既に二〇年以上経過しており、被告は本訴において右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

認める。

五  再抗弁(債務の承認)

原告及び原告代理人は、昭和五六年四月三日被告宅を訪れ、被告に対し、被告の原告に対する前記暴力行為について書面を示して事実を話し、被告において責任をとる意向があるか否かを尋ねたところ、被告は率直に事実を認め、「長年心にかかつてどうしようもなかつた。まことに申訳ないことをした。責任はとります。どう責任をとつたらいいか相談したい人もあるので、相談してすみやかに返事する。」と答えた。ここにおいて被告は、損害賠債に応じ、時効の援用をしないことを約束したものである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁のうち、原告及び原告代理人が原告主張の日時に被告宅を訪れ原告主張の事項を被告に尋ねたことは認めるが、その余は否認する。

仮に、原告主張のような返答を被告がしたとしても、そのことが損害賠償に応じ時効の援用をしないことを意味するものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一本件不法行為の有無について

被告の旧姓が乙田であつたこと、昭和一六年五月二〇日当時被告が朝鮮咸鏡北道鏡城輜重兵第一九連隊に在隊したことは当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。

1  原告は、昭和一五年一月現役兵として朝鮮咸鏡北道鏡城輜重兵第一九連隊に入営し、同一六年に上等兵となり、初年兵教育係専任となつた。

2  昭和一六年五月二〇日、原告は、乗馬訓練のため初年兵に指示を与え厩舎に行つたところ、当時右連隊所属の小尉であつた被告(旧姓乙田)が、いきなり原告に対し「貴様、この野郎」とどなり、直立不動の原告の顔を平手及び手拳で二〇回以上殴打し、さらにその場に倒れた原告の頭部、腹部等を何回も蹴とばした。原告は口、鼻、耳から血が吹出し、身動きもできず意識がもうろうとなつた。軍馬が騒ぎ、厩舎内が騒然となり、付近にいた兵隊達も駆けつけてきた。

原告は担架で医務室に運ばれたが、重傷のため直ちに羅南の陸軍病院に送られ、二八日間入院し同年六月一七日退院して連隊に戻つた。

3  原告は、昭和一七年一二月に除隊となり、その後京城で警察官になり、戦後は警視庁に勤務したが、前記受傷により難聴になり、耳の状態は汽車がトンネルに入つた時のようになつてしまつた。そのため、警察官勤務において重要な電話受取にも支障をきたし、昇進試験も、学科試験に合格しても口答試験で落とされてしまい、結局昭和五〇年に巡査部長で警察を退職した。

4  昭和五六年四月三日頃、被告方を訪れた原告に対し、後記二のとおり、被告は前記暴行の事実について異議を唱えることなく、その事実を認めた。

被告は、前記暴行の事実を争い、被告本人も暴行の事実は一切なかつた旨供述し、前記各証拠の疑問点(当時の被告の階級のこと、被告のはいてた靴のことなど)を指摘するが、いまだその信用性を覆すに足りるものではなく、被告本人の供述は採用できない。

二時効について

抗弁事実については当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、昭和五六年四月三日頃原告と原告代理人が被告方を訪れ、被告に本件不法行為の事実を記載した甲第一号証の写しを差出したところ(以上の点は当事者間に争いがない。)、被告はこれを読み、「申訳ないことをしたんだ。いつも心にかかつていて困つていたんですよ。」と言つて本件不法行為事実を認めたこと、さらに、責任をとつてもらえるかとの原告の問いに対し、「責任は取ります。取り方については相談したい人がいるから後日相談して速やかに返事します。」と答えたこと、以上の各事実が認められる。右認定に反する被告本人の供述は採用しない。

右認定事実によれば、被告は、本件不法行為に基く債務の消滅時効完成後に本件不法行為事実を自認し、その債務を承認したものであり、このような場合は、時効完成の事実を知つていたときはもちろん、知らなかつたときでも、信義則に照らし、その後右債務についてその時効の援用をすることは許されないというべきである。

なお、不法行為に基く債権の二〇年の消滅時効期間(民法七二四条)について、これを除斥期間と解する説もあるが、そのように解したとしても右の結論を否定する理由はない。

そうすると、被告は不法行為者として、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

三損害について

本件不法行為により原告の蒙つた損害を考えるに、原告の受けた直接的な苦痛及び耳の後遺症によりその後今日に至るまで様々の労苦を強いられてきたであろうこと、さらには、被告は一旦は原告に謝罪の態度を示しながら、その後本件訴訟を通じて不法行為の事実自体を否認し争つていること等の事情、また一方、本件は四〇年以上前の不幸な時代の軍隊という特異な集団内での事件であること等の事情も勘案して、原告の損害を慰謝するには金一五〇万円をもつて相当と判断する。

なお、右一五〇万円に対する遅延損害金については、右金額の算定につき本件口頭弁論終結時までの事情を斟酌している点から考え、その起算日を記録上明らかな口頭弁論終結日の翌日である昭和五七年一二月八日とするのが相当である。

四結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、金一五〇万円及びこれに対する昭和五七年一二月八日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(三輪佳久)

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